• HOME

自分を知るきっかけとなる事例<事例1>

(幼稚園年中)友達同士のケンカを目撃し、保育者に報告に行った。「ハルちゃんが『マナちゃんはどうしてババアなの』って言って、マナちゃんが『ババアじゃないもん馬場だもん』って言って、『じゃあどうして馬場なの』って言ったら泣いちゃったの。」とやけにハキハキ説明したことを覚えている。

<分析・考察>

これは4歳頃の記憶であるが、割と鮮明に覚えている。あまり自分の感情を混ぜずに、あったことを説明するのは得意だったようだ。また、ケンカを見かけて止めようとせずにすぐに保育者のところに話しに行っている。この時はケンカというよりもマナが一方的に攻撃されているように感じ、マナは泣きだしてしまっていたので、自分が加勢するよりも保育者を呼んだ方が効果的だと判断したのではないかと思われる。

<事例2>

小学4年生の時に、授業で目の不自由な人について調べるという活動があった。どんな感覚なのか、どのような道具を使っているのか、生活で不便なところはどこかなどを体感しながら学んだ。手話も少し習い、学校で視覚障害者の人を迎え、話を聞いたりもした。

<分析・考察>

以前から何かと視覚障害・色覚異常などに興味があったのだが、きっかけはこの授業だったのかもしれないと思った。この授業があったことさえ最近まで忘れていたが、思えばこの頃から徐々に興味を持ちだし、考え始めたような気がする。この後小学6年生では身体的障害者について総合学習を行ったが、そこで視覚だけでなく様々な障害があり、公共物などにはそのような人たちに配慮した工夫がたくさんあるということを学び、日常でも意識するようになったように思う。

<事例3>

小学校の間、クラスに馴染めずトラブルメーカーだった子とよく一緒にいた。自分もその子のことが好きなわけではなく、むしろあまり良く思っていなかったが、同級生が我関せずといった様子で遠くから小ばかにしているのは違うと思っていたし、教師も引き受けてくれる人間がいるなら、と周囲に投げかけることをせずに済まそうとしているように感じた。馴染めていないからといってそのような扱いを受けているのはおかしいと感じていたので、何かと世話を引き受けていた。

<分析・考察>

前述したように私もその子のことが好きなわけでなかったが、同級生はその子に対して無視に近い態度を取ったり嫌がらせをしたりしており、私は無視という行為が苦手で、それをするよりは相手に嫌なところを直接伝えた方が楽だと感じていたため結果よく一緒にいることになったのだと思う。そのため私は気に入らないところなど直接伝え、注意していた。そこには言った点を直してくれれば同級生にもとやかく言われずに済むのに…といった気持ちも混じっていたように思う。

一緒にいることで私までとやかく言われるようなことはあまりなかったが、それよりも私はその子が自分の指摘された部分を改善しようとせず、あくまで周りの人間が分かっていないだけだという態度にも憤りを感じていた。その子の親が非常に過保護で、どこか現実から目をそむけているように感じられたのも憤りの原因であったと思う。このような状況を嫌だと思っていなかったわけではなかったが、間違ったことをしているつもりはなかったので、「これは人格を育てる修行なのだ」と自分に言い聞かせることで乗り越えていた。

関連記事